馬超その2
今回のお題は三国志から。

《Ma Chao, Western Warrior/西涼の戦士 馬超》
コスト:3赤赤
伝説のクリーチャー 人間(Human) 兵士(Soldier) 戦士(Warrior)
馬術(このクリーチャーは、馬術を持たないクリーチャーによってはブロックされない。)
西涼の戦士 馬超が単独で攻撃するたび、それはこの戦闘でブロックされない。
3/3
馬超についてのこらむはこちらも参照。
馬超
過去に一度馬超で書いていた。
今回は二度目。
前回はなんと12年前だ。
「他の三国志カードのネタ書けよ」
と言われたら言葉を返せない。
あくまで前回は馬超のストーリーをざっくり書いただけ。
今回はもっとマニアックにお話を展開してみようと思う。
MTG wikiでは一応それなりに馬超の事が書いてあるが、
三国志オタクの店主からすればあの程度では甘いのである。
馬超
字は孟起。
176年生まれ、
222年没。
数え年で享年46。
父が馬騰(ばとう)。
弟に馬休(ばきゅう)、馬鉄(ばてつ)。
馬騰は母が羌族の血なので、
馬超は漢民族の血と羌族の血のクォーターという事になる。
従兄に馬岱(ばたい)がいる。
三国志演義では錦馬超(きんばちょう)と言われ、
その勇猛ぶり、美形ぶりを非常に評価されている。
その理由の1つはこの羌族の血が入っているからだという話もある。
また、蜀の五虎将軍にも選ばれている。
(残り4名は関羽、張飛、趙雲、黄忠)
この馬騰、馬休、馬鉄の3人は演義、正史のどちらでも曹操に殺されている点は変わらない。
が、
演義では
曹操がこの3人を処刑した事で馬超が反乱をした事になっているが、
これは全くの嘘。
演義の中で曹操を悪者にするために事実関係が真逆になっている。
馬超が先に反乱を起こし、
その罪の連座で真っ先に3人が処刑されたのである。
横山光輝三国志のお話の中で、
この3人が殺された事を知った馬超が泣くシーンは名シーンとも言える1つだが、
これはただの自業自得どころか、
引き金を引いているのは馬超本人という鬼の所業エピソードである。
馬騰、馬休、馬鉄は完全にとばっちりを食らっただけの可哀想な人達である。
そもそもで言えば、
曹操の元に馳せ参じているタイミング=父親と弟は人質も同然
という状況で反乱を起こしたらどうなるかなど、
普通に考えたらわかるようなものである。
完全にアウトローである。
なお、この一家惨殺エピソードの際、
演義では従兄の馬岱は馬騰達と一緒にいて、
なんとか西涼まで生き延びて帰る事に成功したとある。
正史ではこのあたりが不明とされている。
というより馬岱は正史、演義ともに前半にほとんど出てこないので出自が不明。
いつの間にか蜀にいる武将なのと、
馬超より生き延びているのだけは事実。
ざっくり西暦で書くと、
176年:馬超生まれる。
208年:馬騰が一族を連れて曹操のもとへ。
211年:馬超が韓遂と一緒に反乱を起こす。
212年:曹操の元にいた馬騰と馬休と馬鉄が処刑される。
213年:馬超の妻子が魏軍にことごとく殺される&馬超自身は張魯の元へ。
214年:張魯を見限って劉備の元へ走る。
218年:前年から魏軍と戦うも戦果を得られず退却。
219年:劉備が漢中王を名乗り、左将軍に任命される。
221年:蜀漢建国。
222年:馬超病死。
この212~213年のあたりでは冀城(きじょう)を攻めているが、
趙昂と王異という夫婦(趙昂(ちょうこう)が夫、王異(おうい)が妻)に冀城を追い出されている。
ただし、この夫婦の子供である趙月(ちょうげつ)は馬超に殺されている。
この王異という女性は三国志ではとても珍しい。
そもそもで言うと女性が三国志に登場するのも珍しいのだが、
その中でも「戦闘に加わった女性」は相当に稀有な存在である。
性格は夫よりも苛烈で、凛とした女性であったという。
(趙昂、王異ともに生没年不詳だが、正史にも登場している)
213~214年の張魯の元に身を寄せている際には、
張魯が馬超を重用したうえで、自分の娘を嫁がせようとした。
しかし、張魯の家臣から
「馬超は自分の親や兄弟を見殺しにしています。
自身の家族を大切にしない者が、
貴方の娘を妻にして大切にするでしょうか?」
とつっこまれて、
この結婚話は無かった事になった。
クズエピソードである。
加えて、張魯時代に魏軍と戦いに赴くものの、
大した戦果も得られずに撤退をしている。
それなりに厚遇してくれていた張魯に対し、
勝手に見限りをつけた馬超は劉備へ降伏文書を送り、
劉備軍についてしまう。
三国志きっての裏切りの代名詞「呂布」に並びそうな程裏切ってない?こいつ。
(ちなみに劉備も相当裏切りまくっている)
クズエピソードである。
とはいえ、勇猛さは知られていた馬超、
演義だけとはいえ、
「五虎将軍」
に名を連ねる武将として名を馳せている。
(五虎将軍の記述は正史にはない)
蜀に入った馬超は調子に乗り、
劉備の事を敬称で呼ばずに「玄徳」と呼んでいたという話がある。
簡単に言えば、
ソフトバンクの中間管理職ぐらいの人が、
「まさよし、元気ぃ?」
くらいの勢いで孫正義社長に話しかけるようなものだ。
殺されても文句言えないレベルのお話。
なお、これに激昂した関羽と張飛に脅されて、
それ以降は敬称呼びに変えたという話が伝わっている。
三国志正史に注釈を入れた裴松之は、
この話を創作だと断言している。
が、
そんなエピソードが創作であろうと出てくるあたり、
そういう性格だったんじゃないの?
くらいは疑われるような人だった可能性はある。
クズエピソードである。
死ぬ間際には
「私の一族、約200人は曹操に殺されました。
馬岱だけが残っています。
馬岱を馬家の跡継ぎとしてよろしくお願いします」
という旨を伝えている。
身も蓋もない事を言うと、
「一族郎党曹操に殺されたの、半分以上お前のせいやんけ」
である。
クズエピソードである。
この馬岱は馬超の従兄だという事しか記録が無いに等しい。
ただ、その後の三国志を見る限り、
馬岱は馬超にある程度ついてきて蜀に入り、
馬超が死んだ後も蜀に忠義を尽くしたという事だけは間違いないのだろう。
馬超とは最も付き合いの長かった人なのではないかと推測する。
長いだけに「馬超最大の被害者」という見方も出来なくはない。
馬岱は蜀では最後まで優秀な武将として描かれている。
特に馬岱は忠義の武将で、
三国志後半の蜀漢時代に、
魏延(ぎえん)が反旗を翻した際に馬岱が斬り殺すというシーンは、
演義、正史ともに共通している。
馬超のような馬家の面汚しとは違う。
また、
馬超と馬岱は蜀にいた馬良(ばりょう)、馬謖(ばしょく)との血縁関係はない。
馬良は
「馬氏の五常、白眉(はくび)最も良し」
という言葉が残る程に優秀だった。
馬氏の五常とはこの馬良と馬謖の兄弟は5人いて、
全員の字に「常」の文字が入っており、五常。
その5人の中で馬良(字は季常)は唯一眉毛が白かったとされ、
その優秀さを称賛してこの言葉が残っている。
単純に「白眉」という単語だけで使われる事もある。
なお、この白眉、馬良は劉備の無茶振りのせいで死ぬ。
簡単に書くと、
劉備「うおおおお、関羽と張飛の弔い合戦じゃあああ!!!呉くたばれえええ!!」
呉「いや、まじゴメン。和睦しよう、和睦。」
劉備「和睦?ナメんなおらああああああ!突撃ぃいいいい!!」
呉「ならこっちも死にものぐるいだああああああ!!陸遜(りくそん)行けええええ!」
劉備「陸遜?なんだ?その若造は。知るかあああ!」
↓
劉備、陸遜に惨敗。馬良戦死。
馬謖(字は幼常)は諸葛孔明に可愛がられたという話が有名だが、
劉備が
「孔明、馬謖使うのだけはやめとけ」
と死に際に言ったにも関わらず、
諸葛孔明が可愛がり過ぎた挙げ句、
魏軍との戦いの際に山頂に陣を敷いて惨敗し、
諸葛孔明がその敗戦責任を馬謖に問いて処刑を命じるという、
「泣いて馬謖を斬る」
の故事の元となってしまう。
この時、馬謖の部下であった李盛(りせい)や張休(ちょうきゅう)も同時に処刑されているが、
故事として残ったのは馬謖のみ。
そこには諸葛孔明の馬謖への思いがうかがえるものではあるが、
この故事から後世の歴史家・・・というか現代の三国志オタクからは、
「登山家」(山頂に陣を敷くから)
というイジメにも等しいあだ名がつけられている。
馬謖=登山家
を知っている人がいたら三国志オタクとして何処に出しても恥ずかしい奴だ。
胸を張っていいぞ。
馬謖=登山家を知らなかった三国志好きよ。
これからは何処に出しても恥ずかしい三国志オタクになれたぞ、良かったな。
ここに出てきた馬の姓の4人をわかりやすく書くと
馬超:自業自得で馬一族を軒並み死に追いやったうえに、
そこらじゅうで裏切りをかましまくりいつの間にか病死。
馬岱:馬家の唯一の生き残りとして頑張るも馬家復興までは行かず。
(その後馬家がどうなったかほとんど史書に残っていないため)
馬良:上記二人と血縁は無いが劉備の特攻に付き合わされて夷陵の戦いで戦死。
(孔明が馬良を頼りにしていただけに孔明めっちゃショック受ける)
馬謖:趣味の登山のせいで遭難、救助されたけど責任問われて死亡。
(孔明が劉備の話を聞かなかったせいで国力を落とす&敗戦の原因になる)
血のつながりは無いものの、
どっちの馬家もあんまり報われていない。
なお、馬良は四男、馬謖は五男なので
彼らには上に三人の兄がいたわけだが、
字は伯常、仲常、叔常と言われているわりに、
名前のほうは記録が一切残っていない。
(馬◯/伯常、馬◯/仲常、馬◯/叔常の◯部分がそれぞれ不明)
もしかしたら一人くらい馬家を引き継いで後世まで馬家の血を残した可能性はある。
余談に余談を重ねるが、
馬氏の五常の伯常、仲常、叔常、季常、幼常の字はよくあるものだ。
中国では伯仲叔季幼は兄弟姉妹の順序を表すものであり、
馬良が季常で四男、馬謖が幼常で五男であることから、
残りの馬氏の五常の字が推測されたものと思われる。
仮に六番目の場合は「稚」である。
「幼稚園」などの言葉で使われる「幼稚」とはここから来ている。
同様のものでは、
三国志の孫堅の息子にもうかがえる。
孫策(そんさく)/伯符(長男なので伯)
孫権(そんけん)/仲謀(次男なので仲)
孫翊(そんしょう)/叔弼(三男なので叔)
孫匡(そんきょう)/季佐(四男なので季)
孫朗(そんろう)/(字が不明、三国志演義では早安と設定)
孫朗だけ不明&三国志演義で早安になっているが、
孫朗だけ異母兄弟のためであると思われる。
孫策から孫匡までは同母である。
孫朗は孫堅正室の呉夫人の妹と設定されているが、
あくまで三国志演義の話なので真実味は薄いものの、
孫朗が異母兄弟だった事は間違いないだろう。
この話は馬超とも無関係ではなく、
馬超の字は孟起だが、
「伯仲叔季幼稚」
の数え方の一番目の伯については孟を使う事もあり、
馬超が長男であった事がうかがえる。
ただし、
馬休と馬鉄の字が不明なため、
この二人の字に「仲」「叔」が使われていたかはわからない。
おそらく、というだけなら使われていただろう。
ちなみにMTGのほうでは、

《蜀主 劉備/Liu Bei, Lord of Shu》
《伏竜 孔明/Kongming, “Sleeping Dragon”》
が白、


《虎威将軍 趙雲/Zhao Zilong, Tiger General》
《列聖の武将 関羽/Guan Yu, Sainted Warrior》
《猛将 張飛/Zhang Fei, Fierce Warrior》
《蜀の将軍 黄忠/Huang Zhong, Shu General》
の五虎将軍のうち4名が白であるのに対し、
馬超だけが赤である。
これは三国志の話の中で、
魏呉蜀に分かれる前の時代をモチーフにした一面があり、
まだ劉備軍に入っていない、西涼方面にいる馬超をカード化したからだと思われる。
白:蜀軍
青:呉軍
黒:魏軍
緑:蛮族と動物
赤:上記以外(董卓、呂布、袁紹、貂蝉が該当)
というイメージなのだろう。
なお、馬超以外の赤の伝説クリーチャーである
《暴君 董卓/Dong Zhou, the Tyrant》
《優柔不断なる君主 袁紹/Yuan Shao, the Indecisive》
《籠絡の美女 貂蝉/Diaochan, Artful Beauty》
《武芸の達人 呂布/Lu Bu, Master-at-Arms》
の4名は全て三国志の序盤に死ぬ。
馬超のみ中盤まで生きているが、
あくまで馬超は西涼の武将として赤になっているのだと思われる。
五虎将軍の事を考えるなら白にしてやれよ・・・
と思う点ではあるが、
馬超は蜀漢ないしは劉備麾下だった時代が少ない。
(蜀漢建国後1年で死亡。)
そして馬超以外の五虎将軍は多少なり虚飾はあれども、
後世にここまでひどいエピソードだらけではない。
つまり、馬超は五虎将軍の面汚しという話なのである。
クズエピソードである。
ああ、そういえば書き忘れていた。
馬超が若い頃、20~30歳の間くらい。
父の馬騰と韓遂の間に諍いが起き、
韓遂配下の閻行(えんこう)という武将に殺されかけている。
閻行が強かったのか、まだ馬超が未熟だったのか、
たまたまだったのかは不明だが、
馬超さん、あんまり戦果がないように思うのは気のせいか。
ただ、全く戦果がないわけでもない。
211年の反乱(潼関の戦い)の際には曹操を窮地に追い込む事に成功している。
曹操が戦場に出た戦の中でも、
呂布以来の危地に立たされた状況だったと言われている。
ここでやっとMTGの《西涼の戦士 馬超》の話になるわけだ。
馬超のイラストには二人の人物が描かれている。
右側が馬に乗った青い鎧の武将。
左側が黒と金の鎧の武将。
錦馬超のイメージを考えれば右側が馬超で間違いない。
ついでにポータル三国志の曹仁や夏侯惇などは、
黒や金を基調とした絵になっているため、
左側は魏軍の誰かだと想像出来る。
が、
左側は誰なのか。
これは店主自身が絵師の弘司さんに確認したところ、
「わからない」
と回答されてしまっている(笑)
「ええー?!描いた本人もわからないんですか?!」
と突っ込んだら、
「昔過ぎて覚えていない」
というお返事。
うーむ、そうなると消去法だ。
まず、
想像をするにこれは魏軍である。
「馬超が追いかけ、追われる魏軍の誰か」
でないと辻褄は合わない。
さすがに
「追いかけられている左側のほうが馬超」
ではカードとしてかっこがつかない。
追いかけられているのは魏軍の誰かとなるはず。
そこで先程のエピソードが出てくる。
・潼関の戦いで曹操を追い詰めた
とするならこれは最も曹操である確率が上がる。
それ以外では、
潼関の戦いにおいて魏軍で潼関にいるのは、
許褚(きょちょ)、丁斐(ていひ)、徐晃(じょこう)、朱霊(しゅれい)、曹仁(そうじん)、
あと武将じゃない賈詡(かく)あたり。
曹操がピンチになったのを救うために奮戦したのは許褚なので、
この絵の左側は曹操でないのなら許褚が候補に挙がる。
さすがに鎧と兜装備してて一兵卒って事はないだろう。
ついでに言えば、
馬超が馬で追いかけているんだから、
これ追いかけられている側も見えないけど馬乗ってるでしょ?
という想像もある。
ここから察するに「名のある武将」のはずなのだ。
なので、
曹操か曹操陣営の誰か。
また、《西涼の戦士 馬超》の能力の
「西涼の戦士 馬超が単独で攻撃するたび、それはこの戦闘でブロックされない。」
という能力は、
「単騎突破」をイメージしているものであり、
曹操陣営の誰かを単騎で追い詰めているシーンとも合致している。
そんな馬超の原画は現在店主のもとにある。
弘司さんから直接自分が買った。
これに関するエピソードもなかなか面白いのだが、
とりあえず最後に1つ出しておこう。
弘司さんからこれを買う時にサインをもらう約束をした。
そして実際にサインをもらう際に聞いた。
弘司さんは《西涼の戦士 馬超》に今までサインした事が無かったのだそうだ。
英語
日本語
中国語
中国語
の4種のポータル三国志の《西涼の戦士 馬超》サイン入り。
この全言語制覇&サイン入りを所持しているのは自分のみ。
相当な貴重品だ。
なお、アーティストプルーフは弘司さんは「ない」と言っていた。
一度もそのようなものが送られてきた事はないと。
さて、ポータル三国志全般に存在しないのか、
それとも弘司さんのものや一部だけが存在しないのか。
・・・そういえばポータル三国志のアーティストプルーフって1枚も持っていないな。
もしかしたら本当に全部アーティストプルーフ作らなかったのかも。
今回の弘司さんの《西涼の戦士 馬超》
前回のアオガチョウさんの《ホーントウッドの大主》
この2つの原画を皆様の前に見せられるのはいつになるか。
お楽しみに。
ではまた。











