ルール0について

目次
1.質問箱に届いた質問
2.合意という暗黙の強制
3.「棲み分け」の崩壊
4.プレイ上での意外性
5.制度化してしまったことによる弊害
6.結論
7.最後に

質問箱に届いた質問

質問箱にこんな質問が届いた。

最近よくルール0についての意見を見ます。
晴れる屋でも最初にデッキの紹介をしてから始めるようになったとか・・・。
私としては卓分けしてからルール0をおこなっても
『ほな、合わないんで帰ります』ができないので微妙かなと思います。
ルール0について加藤様の意見を聞きたいです。

ルール0を知らない人のために説明しておくと、
ルール0とは、
ゲームを始める前に対戦相手全員で話し合って、
その場のデッキの強さを調整し、合意するプロセスのことだ。
必要に応じてデッキの中身を明かすこともある。

先に言っておくが、
店主はこのルール0だとかブラケットの話題が好きではない。
ただ、好きじゃないで終わらせると質問に答えたことにならないので、
なぜ好きじゃないのかを順番に書いていく。

合意という暗黙の強制

まず質問者様の指摘が鋭い。
ここは本当にその通りだと思う。

卓が決まってから話し合うということは、
話し合って折り合わなかったときに抜ける先がないということだ。
その状態でやる合意は、合意という名前をしているだけで、
実際には一番強く出た人の基準に残り三人が合わせる作業になる。

断る選択肢がない場所で
「みんなで決めましょう」
と言われたら、
それは決めているのではなくて飲まされている。
質問者様が微妙だと感じたのは、
そこに気づいているからだと思う。

「棲み分け」の崩壊

次に、
ブラケットが解こうとした問題そのものは店主も実在すると思っている。
せっかく卓についたのにデッキの強さがあまりに噛み合わない、というのは昔からある悩みだ。
そこに手を打とうとしたこと自体を馬鹿にするつもりはない。
最もTCGだから資産差と強さの差は当然の話でもあるのだけどね。

問題は打ち方だ。

本来これは、「棲み分け」で片がついていた話だった。

ゆるく遊びたい人はゆるい卓へ、強いデッキを回したい人はそういう卓へ。
店やコミュニティごとに空気があって、そこに集まる人が自然に選んでいた。

そこへ全国共通のルールが降りてきた。
すると今度は、
「そのルールの線をどこに引くか、自分のデッキは線の内か外か?」
という新しい議論が生まれる。
生まれた議論を収めるためにルール0という追加の話し合いが必要になった。

解決策が新しい問題を作り、その問題を埋めるために次のルールが要る。
この形になったら、多分終わらない。

しかも公式は、
「ブラケットは初対面同士のマッチメイキングを助けるためのもので、
 既にできているコミュニティに口を出すつもりはない。」
と言っている。
店主はこの建前が最初から成り立たないと思っている。

共通の物差しが配られた時点でそれは必然多くの人の頭に入る。
「うちは気心が知れてるからブラケットは要らないよ。」
と言うためにさえ、一度ブラケットを持ち出さなければならない。
「介入しないと宣言したその瞬間に、もう介入は始まっている」のである。

そして世界各地のそれぞれの卓が持っていた、
「うちはこのくらいの温度」という固有の感覚が、
「ブラケットで言うと何番」に強制翻訳されていく。
EDHの約20年かけてそれぞれに育ってきたものが、
ブラケット5段階によって破壊された。
さらにブラケットを受け入れられない層との間を完全に分断してしまった。

プレイ上での意外性

そして、このブラケットとルール0の問題に対し、意外性の話をしたい。

始める前に手の内を明かすほど、
卓の上で起きることは読めるようになる。

当たり前だ。
ブラケット3なら土地を壊されないと分かっていれば、
引いた土地を何も考えずに並べていい。
安心して並べられるということは、そこで何も起きないということだ。
安全と引き換えに差し出しているものがある。

それが次の話だ。

ちょっと話がそれるが、
店主はこの一年、MTGを新しく始めた人に教える機会があった。
「ストリクスヘイヴンの秘密」のプレリキットで一緒に遊んだときの話だ。

店主はパックから《ハルマゲドン/Armageddon》を引いた。
リミテッドでゲドンは滅多にできることじゃない。
タッチ《ハルマゲドン》をしてそれを決めた。

相手の反応は、

「すごい!
 こんな事出来るなんて思わなかった!
 感動した!」

だった。
この人それで負けているのに。

後で話したら

「あれは本当に感動した。
 自分もやりたいって思った。
 まさに魔法って感じがした。」

とまで言ってくれた。

これがMTGだろう。

知らないカードが飛んできて負ける。謎の四枚コンボで死ぬ。
こういうのがあってもいい、じゃない。
こういう意外性が当たり前なのがMTGだ。

始める前に全部言っていたらあの感動は起きなかった。
EDHだってそれは同じだ。
意外性があるから楽しいんだ。

制度化してしまったことによる弊害

話をルール0やブラケットに戻そう。
この話題をしていたとき、友人がぼそっとこう言った。

「ルール0やらブラケットというのは、
 『小さい子供に本気を出したら泣くから、
 うまく手加減していい勝負をしてあげてね。』
 みたいな感じだから変なんですよね。」

自分の中で一年くらい言葉にならなかったものを綺麗に言葉にしてくれた!
と思った。

そう、この言葉に全てが集約されている。

ただ、誤解しないでほしいのは、
店主が引っかかっているのは手加減してほしいと思う人のことじゃない。
相手に合わせて楽しく遊びたいという気持ちは、まっとうな楽しみ方だ。
本当に子供が相手なら、店主だって手加減する。
それで迎え入れてやるのが大人だ。

引っかかっているのは、
その気持ちだけが制度になったことと、
これが大人同士であるということだ。

配慮してほしいという要望は、ブラケットという形をもらった。
(それがどれほど望ましくない形であろうとも。)
一方で、
「何が飛んでくるか分からないから面白い、驚かせてくれ!」
という要望は、制度のどこにも載っていない。

どちらも同じだけ正当なものなのに、
片方だけが公式の後ろ盾を得ている。
この非対称が、店主にはどうしても飲み込めない。

「それが嫌ならブラケット4以上へ行け!」
と言われるだろう。
でも考えてほしい。
その言い分自体、制度ができるまで存在しなかった議論だ。

「棲み分けで済んでいたところに、
 公式が線を引いたから、
 線のどちら側にいるべきか?」
という言い争いが生まれた。
副産物を持ち出して元を正当化するのは順番が逆だと思う。

そして議論をし、ルール0やブラケットにこだわっているのが大人だということ。
そんなにも対戦相手への忖度は必要なプロセスなのだろうか。

結論

ではどうすればよかったか。

店主は「EDH辛口」「EDH甘口」は良い取り組みだったと思っている。
あれは基準を押しつけない。
何がどこまで辛いのかは各自が決めるし、合わなければ次は別の卓に行く。
判断をその場の人間に返したまま、行き先だけ示してくれる。
運営がやるべきなのはそこまでだったのではないか。

棲み分けを助けるところまでで手を止める。
中で何をどう遊ぶかには踏み込まない。
そこへルール0が入ってきてEDHの世界はより悪くなってしまった。

最後に

質問者様へ。

嫌な気分になったのは、貴方の感じ方が繊細だからではない。
断れない場所で合意を求められる仕組みだから気持ち悪いのだと思う。
そう感じる人がいるということそのものが、
このルール0制度やブラケット制度が間違ったものである証拠だろう。

MTGは戦うゲームだ。
相手の手の内を知らないで戦うから面白い。
この前提を大事にしている人間も多くいる。
今回のルール0のように、
片一方にだけ配慮をするような事は断固として反対だと言い切る。
少なくとも店主は
「知らない手の内にしてやられたい側」だ。

ではまた。

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