震災の募金について。

震災の募金について。
今回のこらむはMTGとは関係ありません。

各所でささやかれる言葉があります。

「やらない善よりやる偽善」

聞こえはいい言葉ですが、ハッキリ言って最低の言葉です。
特にこういった災害においては。
被災地にボランティアで行くだけ行って、
何の役にも立たずに被災地に送られてくる物資を食いつぶす輩もいます。
被災地に物資を送ったはいいものの、それが衛生面に問題があって、
結果破棄するコストを増やしただけで終わる場合もあります。
日本ユニセフのアグネスさんは大金持ちなのに折り鶴を作っています。
これらはまさに「やる偽善」です。
(もちろん、役に立っていらっしゃる方がいる事もわかります。)

これでもまだ、「やらない善よりやる偽善」と言うのでしょうか。
自分の無力さがわかっていれば、
やらない善こそが必要な事だってあります。
やる偽善は無知で傲慢でしかないのです。

現在、一部のショップで
「売上の1%を募金」
などと掲げているショップもありますが、
売名行為も甚だしいと思います。
災害救助のための募金は素晴らしい事です。
しかし、考えてみてください。
500万円売り上げて5万円です。
1000万円売り上げてやっと10万円です。
これだけ売り上げていた場合に限りませんが、
1%なんて痛くもかゆくもない数字です。
「これを掲げる事によって売上が伸びるならしめたものだ」
と考えていると見ていいでしょう。
売上からどうこうではなく、
どうして素直に「◯◯万円募金」と言えないのでしょうか。

売上の1%を募金と掲げている行為は偽善ではないでしょうか。
何故なら、無償ではないからです。
利を先立てておいて、その中のほんの少しを…と言っているのです。
恥を知る心があればやらない行為でしょう。
ボランティア、募金というものは無償であるべきなのです。

偽善は悪です。
もっと言えば、悪よりも悪、「最悪」です。
おそらくですけれど、
「やらない善よりやる偽善」
という言葉は20年前には絶対に無かったと思います。
どこの誰かは知りませんが、
偽善者が作った言葉なのでしょう。
どうして胸を張って「やる善」と言えないのでしょうか。
偽善だと認識しているからでしょうか。

私は自分の無力さをよく知っています。
そして私は善人ではないでしょう。
ただ偽善にだけはなりたくありません。
私は自分にとって大事な人たちさえ守れるかどうかという力しかありません。
私はその大事な人たちを守れたら御の字だと思うくらいの小さな人間です。
私はその程度の人間です。
こういった事で非常に大切な事は、
「自分の力の範囲で、
どれだけ無償で出来るか」
という一点だと思います。
やらない善でもやる偽善でもなく、素直に「やる善」でありたいものです。
それがどんなに小さくても。

我が家ではこれを家族と話した上で、
自分たちの出来る範囲でいくらかの募金をする事にしました。

これを読んだ方、
貴方は「やる偽善」をしますか?
「やらない善」をしますか?
それとも小さくても「やる善」をしますか?



記事作成日:2011/03/18



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