赤兎馬
記事作成日:2016/12/07 執筆:加藤英宝
久しぶりの三国志のお話。
三国志については固有名詞のあるカードや、
歴史にまつわる名前のあるカードなら
全てについて、なんらかくだらないウンチクを書けるので、
実は他のカードこらむより書くのが好きであり、
しかも簡単に書けるのが楽だ。
店主は三国志の事なら一晩でも語ってしまうほど好きなのだ。
《Riding Red Hare/赤兎馬》
コスト:2白
ソーサリー
クリーチャー1体を対象とする。
それはターン終了時まで+3/+3の修整を受けるとともに馬術を得る。
(それは、馬術を持たないクリーチャーによってはブロックされない。)
レア
赤兎馬という馬は三国志に登場する名馬の名。
三国志の中では一番最初に《暴君 董卓/Dong Zhou, the Tyrant》が所有している。
この董卓に関して知りたい人はこらむの「暴君 董卓」へ。
赤兎馬は1日に千里(約500km)を走る馬と言われ、
その毛色は赤。
毛色の赤と兎のような素早さから赤兎馬と呼ばれた説もある。
董卓は生まれが中国では北西の方面だったため、
この馬はモンゴル等に近い方の馬の血統だった可能性があり、
中国原産の馬では無かったとも言われている。
赤兎馬は董卓が所有していたが、
自分が政治の実権を握るために、
丁原という武将が邪魔だった。
この丁原には呂布というこの時代最強と言われた武将がついていたため、
丁原を倒そうにも難しかった。
董卓はなんとか丁原を倒すために、
呂布を自分側に寝返るよう働きかける。
その時に登場するのがこの赤兎馬だ。
董卓もこの赤兎馬という名馬を非常に大切にしていたが、
政治の実権と馬の価値を秤にかけて、
政治の実権を選んだ。
赤兎馬を贈られた呂布は丁原の養子となっていたが、
赤兎馬を贈られて大喜び。
あっさりと養父の丁原を裏切って即刻斬殺。
簡単に董卓側についてしまった。
ここからが、
「人中の呂布、馬中の赤兎」
の始まり。
この言葉は、
呂布の武勇と赤兎馬の速度を讃えたもので、
最強の武将に最高の馬、
この2つが組み合わされば万夫不当であるという言葉。
本当にこの言葉が生まれるのは、
董卓斬殺より少し後になる。
赤兎馬のために丁原を斬った呂布は、
今度は董卓を養父と仰ぐようになる。
もともと強い武将である董卓に、
呂布が加われば鬼に金棒。
ここから悪逆の限りを尽くす事となる。
暴君 董卓のこらむにもある通り、
中国史上でもトップクラスの悪業が行われる。
しかし、そんな悪逆非道も長くは続かない。
董卓もあっさりと呂布に殺されてしまう。
ここは三国志正史と三国志演義で記述が異なるところだが、
・ちょっとした事で怒った董卓が呂布に戟(ナイフ)を投げつけ、
それがもとで関係がこじれた。(正史)
・呂布が皇帝に仕える王允の董卓暗殺計画に乗る。(正史と演義)
・董卓の侍女との三角関係。(正史と演義)
演義ではこの説の女性に貂蝉とつけている。
など、諸説あるが、
どれであろうとも、
董卓は呂布に裏切られて殺される。
赤兎馬は相変わらず呂布が所有したままだ。
呂布はその後もいくつもの場所を放浪し、
多くの武将を裏切り続けるが、
当然そんな事を続ける者が長く生きていられるわけもない。
最後は部下の裏切りにあい、
赤兎馬を盗まれ、
捕縛されたのちに呂布は斬首される。
三国志正史の作者である陳寿は
「呂布は武力があろうとも知略がなく、
軽率で自己の利益ばかりに目が行く。
彼のような人物が歴史上破滅しなかった試しはない。」
と評している。
ここで赤兎馬の所有権は呂布から曹操に。
曹操とは、
三国志正史では主人公、
三国志演義では悪役として知られる。
言うまでもなく、
《魏公 曹操/Cao Cao, Lord of Wei》
の事である。
曹操は呂布を倒した後に劉備を攻める。
その際に人材マニアの曹操は、
劉備の配下にいた関羽を自分の部下にしたいと願った。
この劉備と関羽はもちろんのこと
《蜀主 劉備/Liu Bei, Lord of Shu》
《列聖の武将 関羽/Guan Yu, Sainted Warrior》
の事だ。
戦の結果は曹操の勝利、劉備の敗北。
劉備は袁紹を頼って敗走していたが、
関羽はそれを知らなかった。
曹操は関羽に降伏を勧告し、
自分への帰順を迫った。
関羽はそれに対し3つの条件を提示。
・曹操に降伏するのではなく、後漢皇帝に降伏する。
・劉備の妻の安全を確保。
・劉備生存の報があれば即座に我々は劉備のもとへ行く事。
この条件を曹操は受け入れ、
関羽を一時的に自分の元へ置く事になった。
関羽降伏後、どうしても関羽を部下にしたい曹操は、
いくつもの贈り物をしたが、
関羽はそれを劉備の妻に全て献上してしまい、
一切自分が受け取るという姿勢がなく、
曹操はどうしたら関羽を心服させられるか考えた。
そこで赤兎馬のご登場。
曹操は
「赤兎馬は気性が激しい事もあり、
他の者に乗りこなせないが、
君ならばこの馬を乗りこなせるだろう。」
と、関羽に赤兎馬を贈る。
関羽もこの時ばかりは大いに喜び、
赤兎馬だけは受け取った。
しかし、
「この馬さえあれば、
劉備生存の報の際に即座に劉備のもとへ行ける。」
と言い、
曹操に心服させることは叶わなかった。
その後、赤兎馬は関羽が死ぬまでずっと関羽と一緒だった。
所有期間だけで言えば一番長い人が関羽になるのだが、
それでも
「人中の呂布、馬中の赤兎」
という言葉が残るところからも、
よほど呂布は強かったのだろう。
ポータル三国志の呂布は関羽と1対1で戦うと負けるのに。
(呂布は4/3、関羽は3/5)
関羽の死後は馬忠という武将が赤兎馬を持つ。
この馬忠という人物はとても勘違いしやすい。
同時代に馬忠が二人いるからだ。
蜀と呉の両方に馬忠という名の武将がいた。
赤兎馬を得るのは呉にいる馬忠。
ところが、馬忠が赤兎馬を得た後、
赤兎馬は何も食べず、そのまま死んでしまったらしい。
まるで関羽の後を追って天国へ行ったかのようだ。
余談になるのだが、
198年:呂布死亡
220年:関羽死亡
馬の平均寿命:25~30年
これを見るに、
赤兎馬は馬忠の手に渡った時点で寿命だったのではないだろうか。
それ以前に関羽が死ぬ数年前あたりでも、
戦場を駆けるには無理があったのでは?
という疑問も残る。
とはいえ、関羽という武将は、
仁、義、礼、智、信の備わった最強にして最高の武将という位置づけのため、
その武将の駆る馬も関羽に忠義を尽くし、
主人が亡くなったのであれば、
その後を追うかたちをとった、
というストーリーにしたかったのだろう。
現実問題として赤兎馬が寿命であったとしても、
こういった一面からも関羽が後世の人に愛されている事がわかる。
余談になるが、
中国四千年の歴史の中で、
関羽よりも人気のある人はいない。
1800年ほどの間、不動の1位である。
総選挙をやっているアイドルもびっくりの人気ぶりだ。
この赤兎馬という馬は、
汗血馬(かんけつば)と呼ばれる種だったと言われている。
汗血馬とは「血のような汗を流して走る馬」という意味。
現代ではこの汗血馬と呼ばれる種の馬はないが、
それに近い馬ではないか、
または汗血馬の子孫ではないかと言われている種は存在していて、
名前をアカール・テケ(アハルテケ)という。
また、赤兎馬は日本では芋焼酎の名にも使われている。
死後千年以上が経過してお酒の名に使われる馬というのも珍しい。
MTGの赤兎馬はソーサリーというのが残念だ。
作るなら
「伝説のクリーチャー・馬」
で良かったであろう1枚。
ルール改正により、
ポータル三国志の武将全員がクリーチャータイプ人間になっている。
1つや2つ伝説の人間以外の生物がポータル三国志にあっても良いと思うのだが。
あと、個人的に《嘲笑する仙人 左慈/Zuo Ci, the Mocking Sage》だけ人外にしてほしかった。
さらに赤兎馬は、
英語版では”赤兎馬に乗る”になっているが、
やはりこの赤兎馬のエピソードを考えると、
伝説のクリーチャーにしてほしかった。
カードの効果としては
馬に乗って+3/+3なので、
乗る(Riding)が間違いだとも言わないのだけれども、
ターン終了時に効果が終わってしまう事も残念だし、
(同じく馬のカードの的盧はターン終了時に効果が終わらない。)
三国志には黄道シリーズの動物が出ていた事も考えて、
赤兎馬もクリーチャーカードであってほしかった。
ついでに「一日千里を走る」と言われるくらいなのだから、
白の特色として無理は承知でも速攻が欲しかったところだ。
(赤兎馬を名前の通り赤にすればよかったのかもしれない。)
なお2016年の時点で伝説のクリーチャー・馬は存在していない。
望み薄ではあろうが、
今後、三国志2が出る事を心より待ち望んでいる。
というよりも、
店主は三国志のあらすじ程度なら、
全部書いてしまえる程なので、
三国志2のカードセットを店主に作らせてくれるなら、
喜んでお受けしたいくらいである。
WotCさん、そこだけでいいので仕事ください(笑)
無給でも構いませんので。
もし三国志のカードを作れるのなら、
「Wait,This is Kongming’s Trap/待て、これは孔明の罠だ」
というカードを真っ先に作りたい。
ではまた。