呂蒙

今回のお題は《呉の将軍 呂蒙/Lu Meng, Wu General》。
Cardshop Serraの店主の大好きな三国志のお話。


Lu Meng, Wu General/呉の将軍 呂蒙》  
コスト:3青青
伝説のクリーチャー 人間(Human)・兵士(Soldier)
馬術(このクリーチャーは、馬術を持たないクリーチャーによってはブロックされない。)
4/4
レア
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能力は伝説になり、馬術になったの《大気の精霊/Air Elemental》。
飛行持ちより馬術持ちのほうが遥かに少ないので、
ブロックされないというだけの条件ならば、
呂蒙のほうが強い。

姓は呂、
名は蒙、
字は子明。

呉の国、孫権に仕える武将にして知将。
孫権の生まれは、182年。(死去は252年)
呂蒙の生まれは178年。(死去は219年)
呂蒙は自分より4つ年下の君主に仕えたことになる。

もともとは孫策(孫権の兄、生年175年、死去200年)に仕えていた。
まだ孫策が生きていた頃、
孫策が賊の討伐に出かけた際、
勝手についてきたり、
自分の事を馬鹿にした役人を斬り殺してみたりと、
若いころには無茶と無謀の両方を持つ人だった。
が、
この勇猛ぶりが孫策に気に入られ、孫策の配下となる。
その後、孫策の後継ぎとなった孫権に仕え、
武勲を立てて出世していく。

また、こんなエピソードもある。
呂蒙は自分の配下の兵たちに略奪の一切を禁止していた。
ところが、ある時に配下の一兵は雨が降ってきたので、
民家から笠を1つ略奪してしまった。
この兵はたまたま呂蒙と同郷の兵士だったが、
「同郷のよしみで許したいところだが、軍律は軍律だ。」
と、この兵士を斬首。
以降、呂蒙の配下で略奪をするものはいなくなったという。
軍律に厳しい呂蒙だったが、
部下思い、民衆思いで多くの人に慕われたらしい。

赤壁の戦い以後も武勲を立てる一方、
まさに猪武者といった呂蒙に対し、
孫権は
「武力だけではダメだ。兵法や歴史など多くの事に目を向けろ。」
と呂蒙に一言。
呂蒙は、
「軍事で忙しいから無理です。」
と断ったものの、
孫権から、
「俺はお前より忙しいけど勉強してるんだよ。いいからやれ。」
と、反論され、勉強を始める事にした。
「男たるもの、一度決めたからには徹底的に!」
と呂蒙が言ったかどうかはわからないが、
呂蒙は一心不乱に勉学に励み、
学者も驚くほどの知識を身につけた。
ある時、呉軍の軍師であった魯粛が、
呂蒙に対していくつかの質問をしたところ、
あまりに的確に回答したため、
「呉下の阿蒙にあらず」(これがあの呂蒙だったとは思えない)
と驚愕したという。
この阿蒙とは「蒙」は言うまでもなく呂蒙の蒙。
阿は子供を呼ぶ際に使う言葉。
日本では「○○ちゃん」に近いニュアンス。
それに対し、呂蒙は、
「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」
と回答した。
この、「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」は、
日本でも「男子三日会わざれば刮目し相待すべし」という言葉で使われる。
意味は、
「男たるもの、3日も会わなければそれだけの成長を遂げるものだ。」
という実に向上心溢れる一言である。
Serraがとても好きな言葉でもある。

この「呉下の阿蒙にあらず」と魯粛を驚かせた事がきっかけとなり、
魯粛の死後、呉の軍師を任される。
もっとも魯粛が死んだのは217年で、
呂蒙が死んだのは219年なので、
たったの2年しか軍師でいられなかったのだが。
呂蒙の死後は、陸遜が後任を務めている。

これだけのエピソードがありながら呂蒙は、
三国志では全力の不人気キャラを誇る。
理由の大半は関羽を殺した武将だからというもの。
関羽は三国志の中でも、
君主である劉備を差し置いてトップ人気。
本場中国では神様として崇められている。
しかもどういうわけか商売の神様。
一説にはそろばんを発明したという話から商売の神様に…
という話があるが、これは完全に創作と見られている。
そろばんは今の形になったのは三国時代である2世紀頃と考えられているため、
確かに時期は合っているが、
紀元前でも既にそろばんの雛型が存在している。

真っ当な理由としては、2つ。
信義を重んじ、忠義に死んだ武将である事から、
商売は信用が大事→関羽は神様。
もう1つは関羽は劉備に仕える前に塩の売買に関わっていたという説から。
(こちらについては塩の売買の用心棒だったという説も。)
というもの。

なお、関羽を祀る関帝廟と呼ばれる廟が、
中国、台湾、そして世界中の中華街にある。
それだけ関羽の存在は中国人や台湾人にとって大きい。
しかし、
今の中国人は偽物やパクり商品ばかり作る。
そして
「中国人は嘘がバレたら次の嘘をつく」
「中国人は息をするのと同じくらいに嘘をつく」
という言葉さえある。
とてもではないが「信」や「義」の文字があるとは思えない。
関羽を崇めるなら真っ当な商売をしてもらいたいものだ。

そんな大人気の関羽を倒した事から、
呂蒙は死に際まで関羽のお話がつきまとう。
このお話は三国志演義だけのお話なので、
もちろんフィクションなのだが、あまりに衝撃的なので紹介。

関羽の死後二ヶ月が経過した頃、
祝宴の場で、お酒を酌み交わしていた際、
孫権の杯を受けた時、
突然呂蒙はその杯を地面にたたきつけ、
君主である孫権の胸ぐらをつかみだした。
周囲が困惑する中、呂蒙は、
「碧眼の小児 紫髭の鼠輩。(へきがんのしょうじ、しぜんのそはい)
 我が名は関雲長。」(雲長は関羽の字。)
と絶叫し、
身体中の穴という穴から血を吹き出して死んだという、
壮絶極まりない死に方をしている。
身体中の穴という穴…つまり尻やあそこからも…
などという下品な想像はしなくてよろしい。←下品。

「碧眼の小児 紫髭の鼠輩」
は、口語的には
「青眼の糞ガキ、紫の髭のネズミ野郎」
くらいの意味。
紫の髭は実際には赤髭だったとも言われている。
だいたいにおいて世界の偉人達の見た目の表現は、
非常に誇張して書かれるので、その影響だろう。
この呂蒙の死に様は、
「呂蒙が関羽の亡霊に取り憑かれて死んだ。」
と呉の民衆の間でも話題になったという。

聞いただけで作り話とわかる程のものだが、
三国志演義の作者、羅貫中や当時の民衆が、
いかに関羽を好きだったかが窺い知れる。
また、この壮絶な死に様は、
非現実的である事と、関羽らしくないという事から、
(呪い殺すという仕打ちは神様である関羽らしくないという事)
一部の三国志演義の作品では削除される事もある。

学問を身につけた呂蒙でさえ、
自分が倒した武将が後々の世で神様として崇められるとは、
考えもしなかった事だろう。
それが原因で後世の人気不人気にまで影響する事も、
当然のごとく当時考えもしなかっただろう。

とはいえ、三国志正史の作者である陳寿には、
「勇猛果敢でありながら、知略にも富んだ武将である」
と評されている。
なお、正史では呂蒙は病死。
後年は孫権に、
「呂蒙の病気を治したら莫大な恩賞を出す」
と言わせるほど、
孫権にとって、呉にとって大切な武将だった。
さらに、呂蒙は死に際には、
「孫権からの贈り物は全て返還し、自分の葬式は簡単に済ませてくれ」
言い残した。
この呂蒙に残されている逸話から、
関羽に勝るとも劣らない信義に厚い人だったと言っても、
過言ではないだろう。
日本の多くの政治家に見習わせたい清廉潔白さである。
…おっと夏侯惇の時も同じ事を言ったような。

MTGのほうの呂蒙はポータル三国志カードでしかもクリーチャーカードなだけあって、
これといってトーナメントで活躍したという事はない。
ポータルシリーズがトーナメント使用可能になった時から今まで、
使えるレギュレーションはレガシーとヴィンテージのみ。
もっとも他のレギュレーションで使えたとしても、
5マナ4/4馬術だけでは厳しすぎる。
世の中にはタルモゴイフという、
2マナで4/5くらいにあっさりなってしまう、
化物じみたクリーチャーがいるせいで、
5マナ4/4馬術の生きる道などまずありえない。

EDHではブロックされる事はほとんどない4/4カードとしては悪くない。
青単でジェネラルダメージ狙いであれば使えなくはないが、
使っている人を見たことは無い。
せめて「場にでたら~」という能力かタップ能力でもあれば、
もう少し使われただろう。
ポータル三国志のカードはこういったところがとても残念。
一部のカードだけが使われ、
残りのカードはほとんどが使われない。
しかし歴史上の人物がしっかりと出てくるセットなので、
相応に歴史好きが食いついてくる。
(自分もその一人だ。)
毎度のごとく言っている気がするが、
作りなおしてくれたらと願ってやまない。

三国志を作りなおして呂蒙を作るなら、
レベルアップ能力をつけても面白い。
最初は「呉下の阿蒙」としての強さで、
レベルが上がると途端に凄まじい強さになるカードに仕上げればいい。
フレーバーテキストには
「男子三日会わざれば刮目し相待すべし」
を採用してくれれば文句なし。

ではまた。



記事作成日:2014/03/25